人は生きる限りひとりだよ、でも音楽がある

主に好きなミュージシャンの紹介です。

夏は、ハヌマーン!

皆さんには夏になったらよく聴く曲はあるだろうか。ナンバーガール「透明少女」、フジファブリック若者のすべて」辺りか、もしくはもっとメジャーな流行歌だろうか。

そういった曲もいいのだけれど、もしあなたが背中を丸めて極力日陰を歩きながら生きている私の同類なら、ぜひ今年の夏をハヌマーンで決めてみてほしい。

ハヌマーンの夏の曲といえば、「イカラさんが通る」だ。

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いわゆる「オレ押さえ」的な、セブンスを多用したギターのサウンドと、ビートのはっきりしたドラム、厚みのあるベースの音が、攻撃的なのにどこか哀愁を感じさせる。これが夏にぴったりだ。

歌い出しから2節目くらいの「世界の終わりに君ならどんな音楽聴く」という歌詞、この時点で共感できる人とできない人に大別されるだろう。最近気づいたことなのだけれど、世の中で、音楽に救いを求めている人はそう多くない。世界の終わりの話をする時に、好きな食べ物の話や会いたい人の話をする人は多いだろうが、どんな音楽を聴きたいかを話し出すこの歌の主人公は、どこか大衆からズレた人間だ。

この歌は、(おそらく)失恋の歌だ。「四方に舞う」話も「どこにでもある奇抜な色」のスカートも、この話の主人公と「彼女」との感覚が合っていないだろうことを思わせる。極め付けは、「全ては、そう僕の早計」である。主人公が彼女に抱いた感情、淡い期待のようなものは、ただの主人公の思い込みに過ぎなかったのだ。

そして、サビ終わりの「彼女は僕の知らない音楽に夢中さ」だ。音楽が全ての中心にある主人公にとって、彼女と自分の埋まらない距離を表現する最大限の言葉がこれなのだ。終盤に急に出てくる「眼球の裏で不意に夏の感じ」という表現も、夏に浮かれた街の明るく賑やかな喧騒と、自分の切ない感情を対比させる。

ハヌマーンの歌詞は、難解(なのでつい細かく語ってしまったが)な一方で、刺さる人間にとにかく刺さる。難しい表現で、剥き出しの屈折した感情をぶつけてくる。

夏におすすめ、と言っているけれど、彼らの曲には「Don’t Summer」という曲もある。キラキラした夏から逃げ出したい人はぜひこちらも聞いてほしい。

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どちらの曲にしても、作詞を手掛けるボーカルの山田亮一さんにとっての夏は、決して手に入ることのない「君」や「彼女」と、浮かれた世の中と、そしてそれらへの羨望とフラストレーションを溜め込んだ自分との対比が、色濃く浮き彫りにされる季節なのだろう。

さて、冒頭に挙げた「若者のすべて」だが、ハヌマーンにも「若者のすべて」という曲がある。

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駅の飛び込み自殺の風景から始まるこの歌には、若者の焦燥感がむせかえるほどに充満している。幼い頃に抱いた未来への期待やその頃の幸せな記憶と、どうにもならない現在を対比して死にたいと思ったことがある人間なら、きっと共感できるだろう。

時間は過ぎてくその現実に
眼球をいつまでそらすつもりか
逢えない誰かを想うとは
失念の念を贈ることさ

最後の方に出てくるこの歌詞が、胸に突き刺さる。何かになれなかった自分を受け入れ、歩き出さなければならない。もう逢えなくなってしまった人、逢いたかった人を心の片隅に押しやり、明日を見据えなければならない(と、私は解釈している)。

ハヌマーンは2012年に解散し、現在ボーカルの山田亮一さんはバスマザーズなどのバンドで活動を続けている。バスマザーズも素敵なバンドなのだが、やはり青年期の鬱屈とした感情を爆発させているハヌマーンが今の私には一番突き刺さってくる。

最後に、「Fever Believer Feedback」を紹介する。

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ど頭から楽器隊がそれぞれ暴れ散らかしており、この勢い、衝動、なんと心地よいことか。私はパチンコをやらないので、歌詞の細部まではわからないのだが、ギャンブル場のような場所に行った時に、「あぁ、こいつらクズなんだなぁ」と周囲の人間を見ながら思いつつ、自分がその一員であることを自覚させられる感覚をうまく表現していると思う。

人生上手くいかねぇなぁと思う人、今年の夏は一緒にハヌマーンでキメていきませんか。あまりいい夏にはならないような気がするけれど。

 

(蛇足:ベースの大久保 恵理さんのバンド、マイミーンズもいいですよ。方向性は全然違いますが。)